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【people / interview】ファッションコーディネーター・大塚博美さん

人と共にうつわが育つように、その人とものの間にはパーソナルなストーリーがあります。people / interviewでは、旅するpotteryにご参加いただいた方の「大切にしているもの」についてお話を伺います。

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博美さんの3つの指輪

「指輪は人からもらうといいよ。」
大塚博美さんがつけていた3つの指輪を見せてくださったのは、2016年秋のパリ。撮影終わりにワインを飲みに行こうと、ル・パリジャンという名前のカフェに連れて行ってくださった時でした。その時の博美さんの愛おしそうな顔をよく思い出します。

在仏30年以上、UNDERCOVERやkolorなどパリコレのショーやモード誌の撮影の際にコーディネーターを務める博美さん。今回はモンテプリュムの羽根が、パリに住んでいた時にアシスタントをさせていただいた、博美さんの「大切にしているもの」についてお話を伺いました。

2021年初夏、中目黒のカフェにて。

クレイジーライフの刻印

mont et  plume(以下mp): 博美さん、早速ですが、つけていらっしゃる指輪たちがどうやって博美さんのもとにやってきたのか、教えていただけないですか?

Hiromi Otsuka(以下H) :そこまでロマンチックな話じゃないけどね。これがNYの友人が作ってくれたタリスマンリングで、これがお母さんからの指輪、あとこれが馬場さん(大塚博美さんの旦那様でスタイリストの馬場圭介さん)にもらった婚約指輪。最近は手をよく洗うから外すことが多いけど、大切な時にはいつもつけてる。

(左手人差し指にNYのご友人から、薬指にお母さまから、右手中指に旦那さまからの指輪)

H:NYの友人はメキシコ人で、オーロラというジュエリーデザイナー。NYのアトリエに遊びに行った時に〝博美にも作ってあげる!ロックで大切な友達にプレゼントするの、マドンナやコートニーや…〟と本当にロックな女性の名前が続いて本当なのかなって、申し訳ないけど疑ってしまったくらい。笑
片面には必ずフリーダ・カーロの“TENGO ALAS PARA…(私には翼がある)”っていう言葉が打ち込まれていて、もう片面にはつける人の好きな言葉をいれているそう。でもその時言葉が思いつかなかったから、オーロラに〝私はどんな言葉をつけたらいいと思う?〟って聞いてみたら打ち込まれた言葉は“VOLAR・VIDA LOCA(飛ぶ・クレイジーライフ)”だった。笑

mp:座右の名みたいでかっこいいですね!そのオーロラさんとはどちらでお友達になられたんですか?

H:どこで会ったんだったけな…あ、ソフィーのうちで会ったんだ!
(ソフィー・ドゥ・タイヤックさんは、ご主人がサザビーリーグを創られた鈴木陸三さんで、妹にジュエリーデザイナーとして有名なマリーエレーヌさん、オフィシーヌ・ユニヴェルセル・ビュリーをご主人と運営するヴィクトワールさんがいらっしゃる華麗な一族の方)
ソフィーとは、よく東京のル バロンで遊んでいて、ソフィーのうちに招いてもらった時に、オーロラがいたの。

mp:それは豪華な繋がりですね!

H:ソフィーと私が同い年の猪年生まれで、その場にいた猪年の人たちで人差し指を頭の上に突き出して、いのししだー!ってして。だからクレイジーライフって入れられたのかも。笑 早く空飛ぶクレージーライフが再開できると良いなあ。

お母さんからの珊瑚の指輪

mp:お母さまから譲り受けた指輪とってもお洒落ですね。お母さまもファッションのお仕事をされていたんですよね、博美さんはどのような幼少期を過ごされたんですか?

H:そう、母は下北沢で洋装店をひとりで営んでいて、よく人形のお洋服をつくってくれていたの。私は生まれが東京で、幼稚園の時まで暮らしていたんだけど、両親の実家のある佐賀に遊びに帰っていた時に高熱をだしちゃって。おじいちゃんがお医者さんでこれは風邪じゃない、ちょっとおかしいぞってなって、大学病院で調べてもらったら、急性リンパ性白血病で。その時、あと半年の命って言われたの。それで東京に帰って来られなくなっちゃたから、そのまま父も母も仕事を変えて佐賀に移住してきたの。

mp:!!!そうだったんですか?!全く知らなかったです。

H:でもその当時の少女漫画の世界では、主人公はバレリーナか白血病の設定だったから、同じ病気なのがちょっと嬉しいぐらいで実感が全く無かったの。笑
両親は私が余命半年だと思っていたから、なんでも買ってくれたしね。リカちゃんもバービーちゃんもオールファミリー!観たいといったら、ボリショイ・バレエの公演も父親が好きだった写真や絵の展覧会もおませに連れて行ってもらえて。小学6年生くらいで病気は完治するんだけど、幼少期に両親に見せてもらったものから影響を受けているかもね。

mp:その後、東京、パリへとご活躍されて、小さい頃に大病をされていたとは思えないです。

H:そうだね、それから風邪をひいても寝込まないし、強いかもね。この母からの指輪が今も守ってくれている感じがするよ。母は私のいまの年齢のときに亡くなったんだけど、その時私はパリに住んでいたから、電話で妹に指輪を残しておいてって伝えたの。もともとお父さんのお姉さんがネックレスとして使っていたものを作り変えて、代々引き継いできたものだから、いつかはもらいたいなぁと思っていたんだよね。ほら、指輪の内側が薄くなっているもんね。お母さんがずっとつけていたから、何十年もね。だから私も大切なときはいつもつけてる。
これを見て霊感の強い人が泣いたこともあるよ。〝お母さん守ってくれているねー〟って。あと、ある友人は〝この指輪は月が好きだから、月を見せなさい〟って。それから、指輪を月にかざしてる。撮影でモロッコに行った時も、大きな月が出てたからロケバスで移動中にずっと手だけ月に向けてみたり、この前のスーパームーンの時も〝お母さん月だよ〟ってたっぷり月を浴びさせたりね。

mp:パワーを感じます。

H:ものに頼るじゃないけど、一緒にいてくれているって感じるお守りのような存在だね。

夫からの婚約指輪がレディにしてくれた

mp:そして、馬場さんからの指輪…!か、かっこいい!

H:カルティエのパンサー(正式名称:パンテール ドゥ カルティエ)です。昔からファインジュエリーはこれって決めていて、でも一生買えないと思っていたら、馬場さんが買ってくれました。
結婚しようとは言われなかったのに、ある日指輪を買いに行こうという話になって、私はパンサーを買ってもらえると思って喜んで、友人も引き連れて行ったんだけど、パリのカルティエ本店に渡る時に、馬場さんに〝意味分かってるよね?〟と聞かれて。

mp:それがプロポーズだったんですね!

H:こっちはパンサー!パンサー!って思ってたからね。笑 お店に着いたら、〝ダイヤがついていないパンサーよりダイヤがついてる方が可愛いじゃん〟って言ってくれて、こちらに。カルティエのスタッフにこれを婚約指輪にする人はなかなかいないって言われたわ。

mp:博美さんにぴったりな指輪ですね。

H:フランスって、どれだけカジュアルな格好をしていてもファインジュエリーをつけているとレディとして扱ってくれるでしょ。29歳の時に初めてフランス人だけの結婚式に呼ばれたことがあったんだけど、ロングテーブルの食卓がダウンライトに照らされて、座っているマダムたちのしわが刻まれた首のネックレスや手の指輪がキラキラキラって光るんだよね。それがかっこよくて、憧れで。だからファインジュエリーはいつか一つ欲しかったの。馬場さんにこの指輪を買ってもらえて、レディにしていただけた、と思ってる。

《profile》
Hiromi Otsuka (大塚博美)
ファッションコーディネーター。30年以上パリを拠点に、ファッションショーや撮影のコーディネート、モデルのキャスティングやブランドのコンサルティングを行う。現在、パリと東京の2拠点で生活を送る。

旅するpotteryプロジェクト
自由に旅ができなくなった時代だからこそ、旅する夢をうつわに託したい。旅するpotteryプロジェクトでは、世界中の使い手が参加者となってうつわをバトンし、産地から世界へ、作家から使う人へ旅を通してその変化と物語を一緒に見守ります。

聞き手・モンテプリュム(Ikumi Hane・Sayaka Yamamoto)
Text・Ikumi Hane
Photo・Sayaka Yamamoto