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【Interview】Midori Uchida Vol.1 陶芸家・打田翠さん 前編 

岐阜県の瑞浪市にアトリエを構える打田翠さん。山に向かって車を走らせると絵本の中の風景のように木の生い茂ったトンネルを抜けた先に、彼女と旦那様のアトリエがあります。自然に囲まれた静かなアトリエでお話を伺いました。

mont et plume (以下mp): 打田さんが陶芸を始められたきっかけを教えてください。

Midori Uchida(以下M) 陶芸を始めたのは、何か手に職をつけようと思ったのがきっかけです。大阪芸術大学で4年間陶芸を学び、多治見に移って多治見市陶磁器意匠研究所(以下、意匠研)で 2 年間学んで、卒業してから 13 年間美濃地方で作陶しています。

mp  打田さんの作品から、幻想的な惑星や自然の美しさのようなイメージを連想します。作品を作られるにあたり、どんなことを考えていらっしゃるのでしょうか?

M 漠然と描いている景色みたいなものはずっと一緒です。空や夕焼けを見て、「綺麗だな~」と思う感じとか、その時に自分の中に「うわっ」とこみ上げるものを形にできたらなと思っています。陶芸を始めた頃は知識もなくて自分ができることで表現していました。でも当時もわからないなりにイメージみたいなものがあって、そのイメージは今も変わっていないですね。

mp:昔からブレないイメージを持っていらっしゃるのですね。

M 実際に作品を作るときは、(陶芸なので)近くで見たり、離れてみたりなど細かい視点も関わってきますが、形になる源みたいなものは、夕日をみて「綺麗」と思うようなもっと抽象的な感覚に近い気がします。夕日や、風が吹いて木がたなびいている姿、鳥が飛んでいるな、など自然の風景から影響を受けることが多いです。mp:初期はどのような作品を作られていたのですか?

M 最初は知識も技術もなかったので、色を混ぜてマーブルのような姿が空みたいだなと思って電気ろくろで色の違う土を混ぜて作る練り込みの作品を制作していました。意匠研に入学して、形を作るということに対する気持ちがとても強いということに気づき、自分の良いと思う形を自由に探ることのできる手捻りという方法で制作を始めました。当時はまだ焼いてどうこうするというところまで行き着いていなかったので偶然を受け入れられる状態でもなく、自分ができることに向き合っていました。

mp:(福祉施設の玄関に飾られた当時の壁面作品を見せていただく)すごく綺麗ですね。淡いニュアンスで、近年の作風とはまた違う印象です。

M:その時はその時なりに自分がたどり着きたいイメージを表現しようとしていました。でもこの頃は陶芸の「焼く」という工程にまで気持ちがついていっていなくて、イメージしたものをただ焼き固めるという感じでした。うまく焼き上がっても「想像通り」であとは「失敗」しかないので、だんだん窮屈に感じるようになりました。そういった中で、陶芸ならば避ける事はできない「焼く」という行為を表現に取り込んでもっと楽しみたいと思うようになり、焼くことに向き合い始めました。今の環境でできることは何かないかなあと遊びで友人と楽焼をやってみたところ、あ、よいかも、と思い今の作風の原型に出会いました。

mp:遊びで今の作風が生まれたのですか!

M:今の作風とは程遠いですけど、要素のようなものはあったと思います。友達の実家で、レンガで窯を作って焼きました。偶然ギャラリーの方に見ていただく機会があり、「これ、やればいいじゃん」と背中を押していただいて。その後、展示の機会をいただき、試行錯誤して形にしました。楽焼は、普通の電気窯で焼くのですが、1000 度くらいで出して籾殻に入れ、その時の酸素の量や微妙な温度の違いなどさまざまな要素で色が変わります。私はゴテゴテした楽焼は好みではなくて、釉薬も苦手だったので、自分の近づけたいイメージを目指して温度を探っていきました。

(中編に続く)

 

 

打田 / 陶芸家

Midori Uchida / potter

1983 神戸生まれ

2005 大阪芸術大学工芸学科陶芸コース卒業

2007 多治見市陶磁器意匠研究所修了

      岐阜県瑞浪市にて制作