JOURNAL

【Interview】Tetsuya Hioki カネ利陶料社長 日置哲也さん

カネ利陶料は1839年の創業から美濃焼の原材料となる粘土を製造販売する土のプロ。美濃地方で活躍する作家の方々から「親身になって土選びの相談に乗ってくださる粘土屋さんがいる」と教えていただき、ずっと気になっていた存在が、このカネ利陶料さんです。2022年4月、私たちは岐阜県瑞浪市にあるカネ利陶料さんの工場を訪れました。
実際にお話を伺ってまず私たちが心動かされたのは、会長と社長の発せられる言葉から伝わる土に対する熱い想い。私たちが普段手にしている焼き物の原料はただの土ではなく、何万年もの長い年月をかけて作られたものでそれをいま自然から預かっているのだ、と壮大な自然と時間とのつながりを実感したのでした。

今回、作家としてご参加いただくカネ利陶料の社長・日置哲也さんに土に対する想いと焼き物について伺いました。

美濃の土はどこからやってきたのか

mont et plume (以下mp) カネ利陶料さんは地域のメーカーだけでなく個人で活動をする作家にも広く土を販売していらっしゃいます。この地域の土の特色を教えていただけないでしょうか?

Tetsuya Hioki (以下H) 私たちは東濃地方を中心とした近隣地域の土を主な原料として仕入れ、粘土を作り供給しています。特にカネ利陶料のある美濃地方にはかつて広大な東海湖があったため、良質な白い粘土が安定して採れます。
粘土の作り方は地域によって特色があるのですが、美濃地方は湿式と呼ばれる作り方で、粉砕して攪拌した土を泥状態して泥同士をブレンドして作ります。美濃地方の土は豊富ですが耐火度が高すぎたり、焼いた時にキレが生じるなど個々で見ると欠点も多いです。そのため泥をブレンドする技術が美濃地方の粘土づくりで発達してきました。一方で滋賀県の信楽など他地域で採れる土はそのまま使用できる素材も多いため、天日干しした土をそのまま粘土にする乾式と呼ばれる作られ方をしています。

カネ利陶料では粘土以外にも乾式の状態のものをパウダーとして販売しています。同じ粘土で飽きてしまってもスパイスのように変化がつけられるようにパッケージも調味料のイメージで作りました。分かりやすく整えて販売するようにしてからは、他業種の方も含めて多くの方からお声がけいただくことが増えました。最近、うちの素材を使って絵を書いたり、布を染めたいと声をかけてくださったり、左官屋も訪ねてくれたり。陶芸を知らない方からも興味をもっていただき、熱量を感じています。

作り手の手の中にはすでに粘土がある

mp) 粘土を販売される際に作家に対して親身にご相談に乗っていらっしゃるのが印象的です。作家に粘土をお渡しする際の想いを教えていただけないでしょうか?

H) 作り手の方に気づいてもらいたいという気持ちがあって、なぜ粘土を触って焼き物をやりたいのか、と問いかけるようにしています。これは会長がライフワークのように30年以上もやってきた事なので、僕はまだ勉強しながらなのですが、会長の言葉でいうと「いろんな作り手の方がいて作り手の手の中に既に粘土があるはずだから、それを汲み取りながらなぜこの人は粘土を触って焼き物をやりたいのかを探る」ようにしているんです。問いかけると言葉に詰まってしまう方や答えを出すのに時間がかかる方もいますが、粘土の声を聞いて焼き物をつくるという思考に変わるきっかけになったらいいと思っています。物づくりをする人は様々な引き出しが必要だと思っていて、センス良くものを作れても作家はその先の人間力が問われてきます。
他にはこの土を焼くとこうなるということを敢えてドンピシャでは言わないようにしています。明確な答えを伝えるよりも自然のものを扱っているのでおおらかさを持って、あまり決めつけて販売しないように素材屋として素材を提供することを心掛けています。

mp) 土には限りがあることをカネ利陶料さんのメディアでの発信で知りました。

H) 土の枯渇問題が公になりだしたのはここ5年くらいです。それは山がなくなってしまうわけではないんです。私が危惧しているのは、地場産業として行政が守らなくなってしまうことです。
産業が盛り上がっている時には、良質な粘土がある場所の上に建物をたてないようにして産業のための山を守っていたんですが、ここ数年で大型の商業施設ができたり、大手企業を誘致したりするようになってきました。これまで大手企業を入れずに守ってきたのに、これはこれはと思ってしまいました。
私は職人の技が残るといいと思っていますが、地場産業を栄えていた陶器の赤絵付けの労働力となる方たちも商業施設に流れてしまって。こういった小さな積み重ねが地場産業なんです。長い年月をかけてできた物づくりも、産業が無くなることで粘土が無くなる、そうするとメーカーや商社も無くなってしまいます。
ただ一方でもっと長い年月で考えたときに、この産業は100年ほどで大きくなったものなので、そこだけに目を向けるのも違うなという思いもあります。土を扱う人間の楽しみといった土との関わりを、私たち素材を扱う人間が発信していかないといけないという思いでいます。

mp) 地域の歴史や背景を知ることで私たちは選ぶこと、それによって支持することができるんだと感じています。

mp) 日置さんは土を販売されていらっしゃいますが、作家としての制作活動もされていますね。作家活動としてのことを教えていただけないでしょうか?

H) カネ利陶料で働く前から作家として活動をしていました。昔は作家が世に出る王道の方法というのが、公募展で入選するというくらいしか選択肢がなかったので、公募展に向けての制作活動を10年ほどしていました。
カネ利陶料で働き始めてからは、土を使う立場から土を作る立場に変わり、最初は分からないことばかりだったので、まずは自分で触って焼いて確かめることをしないと人に販売できないと思い、ひたすらテストピースを作り実験を始めました。
テストピース作りは半分は趣味だったのですが、その土の作品を面白いと言ってもらえるようになり、そこで以前からその美しい世界観が気になっていた福岡のうつしきで個展をするという目標を掲げて作家としても制作活動をするようになりました。周りの方の紹介でうつしきのオーナー小野さんの展示什器に使っていただく機会をいただき、そこから実際に個展開催と目標が叶いました。現在は来年まで個展が続いているので自分の作品を好きだと声をかけてくれた方を裏切らないようにという思いで制作を続けています。

全てのことは記憶・時間につながっている

mp) mont et plumeの7月イベントのテーマは “origine(オリジヌ)=日本語では起源・源” です。日置さんの現在の活動や考え方の源になっているものはありますか?

H) 私たちが扱っている粘土というのは蓄積された命の最終形態なんです。火を使って焼成するというのは生き物の命を預かることで、灰を使って釉薬をつくることも、焼き物に関わることは全て物事の終わりを扱っているのだと意識しています。
10年ほど前、近所の古民家を新たにギャラリーとして活用できないかと預かったことがありました。まずは古い家の端材や残されていた家具を燃やそうと片付けを始めたところ、その家に住んでいたお婆さんが遺されたの日記が出てきました。子供の時にスイカを取りに12里離れた畑に行ったとか、戦争の時代にお兄さんに赤紙が届いた、なんてことが書かれていて。燃やしながらどうせ火が出るのだからとうつわを野焼きしていたのですが、野焼きって煙を閉じ込めて焼くので炭素が黒い陰となってうつわについて跡が残るじゃないですか、燃やしながら日記を読み進めていたら、この焼くという作業はお婆さんが生きていた記憶を定着をしているという気持ちになってきたんです。その時はリアルに感じて、私はとんでもないことをしているのではと思いました。
それから焼き物を作るときには気持ちを込めて制作をするようになりました。五月の茶道具には子どもの成長の祈りを込めて小学校の校庭の土を使ったり、亡くなった犬の飼い主のために犬小屋近くの土でお皿を作らせてもらったり。あの時の体験によって、今も私が携わっている全ての物事は、全て記憶・時間につながる行為なんだと感じています。

《profile》
Tetsuya Hioki  カネ利陶料社長・作家
1976 岐阜県各務原市生まれ
2001 多治見工業高校専攻科卒業
2014 第10回美濃国際フェスティバ ル 入選
2016 個展 「美しい」 芽楽
2018 monolith&soilmans note結成
chisou live BGM LAB.×monolith
2018 個展 「トキノマ」芽楽
2019「土にふれる・土をしる」現代陶芸美術館ワークショップ
2020 個展 「現象と、なにか」芽楽
2021「象徴主義」水犀
2021「山本展」白日
2021「カネ利陶料展」うつわノート
2022 日置哲也展 うつしき

聞き手:mont et plume
Writing : Ikumi Hane
Photo : mont et plume